私たちのミッション
町工場から、世界最高の
製品をつくりたい。
土方邦裕・智晴 Kunihiro and Tomoharu Hijikata
「うちのドビー機は世界一!」学校帰りに私たち兄弟とよく遊んでくれた昔の職人たちが、口を揃えて言っていた言葉です。愛知ドビーは、かつて「東洋一の大運河」と称された名古屋市の中川運河のそばに佇む1936年に創業した老舗の小さな町工場です。鉄を溶かして形をつくる「鋳造」と、その鉄の鋳物を精密に削る「精密加工」を得意とする鋳造メーカーで、ドビー機と呼ばれる繊維機械や船やクレーンの部品をつくっていました。職人たちはみな誇らしげに仕事をしていて、幼かった私たち兄弟には、彼らは本当にカッコ良く輝いて見えました。しかし、数十年の時が過ぎて繊維産業が衰退すると、ドビー機の需要も激減し、職人たちの数も少なくなり、彼らはすっかり自信をなくしてしまっているように見えました。私たちは就職して社会に出てからも、そんな職人たちの姿がずっと気がかりでした。
「彼らに、もう一度誇りと笑顔を取り戻してもらいたい。」そう思い至った私たち兄弟は、共にそれまでの仕事を辞め、会社を継ぎました。1500度を超える溶けた鉄が流れる鋳造の現場や、粉塵が舞う精密加工の現場に自ら入り、一から職人としての技術を身につけ、工場の立て直しを図りました。職人やスタッフたちの一丸となった懸命な努力のおかげで、数年経った頃には工場は再建していました。しかし、職人たちの顔を見てみると依然として暗いままなのです。「彼らに、昔のように職人としての誇りを取り戻してもらうには一体どうすれば良いのだろうか?」私たちは悩みました。そして、気づいたのです。「この町工場から、自分たちの技術を直接お客様に届けることができる世界最高レベルの製品をつくるしかないのだ。」と。私たちがつくる“メイド・イン・ジャパンの鋳物ホーロー鍋 バーミキュラ”は、世界中の人々を笑顔にすることを目指しているだけでなく、自分たちが本来持っていた誇りと笑顔を取り戻すために現在も進行している挑戦の物語でもあるのです。
History
小さい頃、遊んでくれた職人たちと
一緒に新しい挑戦をしたかった。
「自分たちで生み出したものを直接お客様にお届けしたい。」小さい頃、遊んでくれた職人たちと一緒にこのような新しい挑戦を始めました。まずは「鋳造」と「精密加工」という自社の二つの強みを生かし、世の中にないものをつくり出そうと模索しました。そして、ある日海外製の鋳物ホーロー鍋が世界的に人気だと知ります。その鍋で実際に調理してみても、鋳物の優れた熱伝導とホーロー加工の保温性や遠赤外線効果により、素材の旨みが引き出されていておいしかったのですが、世界的に高く評価されていたのは密閉性が高く、食材の栄養を逃さず無水調理ができるステンレスとアルミを加工した鍋でした。そこで、精密で無水調理可能なくらい密閉性の高い鋳物ホーロー鍋を作ることができれば、今までになかったような「素材本来の味を引き出す鍋」になるのではないか、自分たちの技術ならそのような製品ができると確信しました。しかし、鋳物へのホーロー加工と密閉性を高めることとの両立は想像を絶する困難を極め、気がつけば約3年もの歳月が流れていました。
Challenge
奇跡的にひとつできた試作品。
嫌いだったニンジンを、
探して食べていた。
理想の鍋を作るために、来る日も来る日も試作を繰り返し、失敗の数はすでに1万個を超えていました。「諦めなければ、いつかは必ずできるハズだ。」そう思いながら、ひたすらに作り続ける中で、ある日ホーロー加工と密閉性を兼ね備えた「これは!」という1台の試作ができ上がりました。その鍋で最初につくった料理はカレー。食材を入れて、弱火にかけて1時間待ち、フタを開けたとき、水を一滴も入れなかったのにもかかわらず、鍋の中になみなみと水分が溢れていました。加えて、肉のアクも出ず、本当にキレイなスープができていたのです。中でも私たちが驚いたのは、子供の頃からニンジンが大嫌いだった社長の邦裕が「ニンジンが甘い。これなら、食べられる。」と、自ら鍋の中からニンジンを探して食べていたことです。この瞬間、この鍋なら世界中の人々を笑顔にできる、と確信しました。かくして、素材本来の味を引き出す鍋、バーミキュラがついに誕生し、私たち兄弟と職人たちの想いが結実したのです。